自分の足元をたずねて

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私が住んでいた地域では、小学校4年生になると毎年、「加佐踊り」という踊りの稽古に週に3回ほど通わなくてはなりませんでした。

踊りは、いわゆる念仏踊りと言われるもの。水争いが繰り返されていた時代に、村人たちのために尽くしたという役人。その人の計らいで水を得た村人たちが、彼の死後も毎年、感謝の気持ちをこめて踊り続けているという踊りです。

傘や扇、花などを手に持ち踊る輪の中心に、いつも2人のおじいさんがいらっしゃいました。
唄い手さんと太鼓を打つ方です。
太鼓は単調な一打一打、唄も川が滔々と流れるような決して華やかではない素朴なものでした。
しかし、味のある唄声や歌詞を、意味もわからず今も覚えているのです。
そして、その音を心の中で聴くとき、静かで優しい時間の流れを感じます。

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ある時、実家に戻り、久しぶりに訪ねたその練習場で、大きなショックを受けました。
おじいさんの座っていた場所には誰もおらず、子どもたちがCDの音に合わせて踊っていたのです。

十数年ぶりにお会いした近所のおじさんが、継承者の方が亡くなられたことを話してくださいました。
また、手元にあるいろいろな資料を持ってきてくださいました。

「もう一度、生の音で踊れるようになったらいいな」

そんな思いが心の中に浮かびました。
自分が太鼓と唄とを続けていること、それをいつか地元に還元したい。
いつも考えてきたことでした。

継承者の高齢化と資料不足という壁につきあたりながらも、
播州音頭発祥地と言われる地の方が、倉庫に保管されていた資料を引っ張り出して下さったり
多くの方に温かなご協力を頂きました。
また、地元の図書館で片っ端から資料を探す日々は、とても有意義なものでした。

写真の資料が作られた時期は昭和三年~十年くらいでしょうか。
手元にある歌詞と照らし合わせたり、コピーしたり、映像を拝見したり、
一歩一歩、芸能に近づいていきます。

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調べているうち、この地では昔、太鼓唄がとても盛んだったことがわかりました。
ある時代には、師匠と弟子という関係も生まれ、組織化されたり、
太鼓唄の番付表が発行されたりしていたほどで、
芸能自体も浄瑠璃や浪花節、琵琶の語りなどをどんどん取り入れた高度なものに
発展していったようです。

そしてようやく、歌詞と音源が一致!
しかし、このこぶしは何!?

まだまだ挑戦は続きます。


★三木の太鼓唄について、情報をお持ちの方は教えてください。
よろしくお願いします!

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by taikonami | 2010-02-01 09:44 | ■太鼓唄をたずねて

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